今回は、孟子の性善説と荀子の性悪説について紹介していきます。
参考にさせていただいたのはこちらの本です。
人は生まれながらに善とした孟子と人は生まれながらに悪だと説いた荀子という人物がいました。性善説と性悪説について簡単に解説していきましょう。また、2人の考えた思想には意外な共通点もありました。
孟子の性善説を簡単に解説
人間はみんな善に向かう素質を持っている。と説いたのが孟子の性善説です。
誰でも1度は、他人の悲運に涙を流したことがあるに違いない。
「ああ、かわいそうだな」と思ったことがあるとすれば、その気持ちこそが善の芽なのです。孟子はこんな例を出して、人間にはみんな善の芽が備わっていると証明しようとしました。
ヨチヨチ歩きの子供が井戸に落ちそうになっているところを見たら、何の打算もなしに、誰でもハッとして助けなければならないと思うはずだ。
この本質的に助けねばいけないという気持ちこそが善だと孟子は言いました。
人間には善の芽が備わっているだけでなく、悪を恥じむ心、人に譲ろうとする心、善と悪を見分ける心が備わっていると孟子は言います。
にも関わらず現実の世界は善に満ちておらず、むしろ逆である。それは人間の善なる素質が何かに邪魔をされて、育つことができていないからだと。
人間は本来ある善の芽を育てることが大事だとしました。
人間は学ぶことで本来持っている善の芽を育てることができるということです。
荀子の性悪説を簡単に解説
荀子は孟子の性善説とは逆で、人は生まれながらに悪であるという性悪説を提唱していました。
人間は生まれた時から見る、聞く、食べるといった欲望が備わっているからです。
この人間の欲望には限界はない。人間は本来自足することを知らないのです。
もし人間がみんな欲望のまま行動していたとしたら、社会を構成する事は出来なくなるでしょう。
ところが人間は社会を構成しなければ生存できない生き物です。だから必要な事は人間の欲望を制御する必要があるという事です。
欲望は個人的に制御することも必要です。社会全体としても調整する必要があるとしました。
人間の欲望は本来的に暴走する性質を持っている。それこそが荀子が解いた悪である。しかし、荀子はそれを調整することができるとしました。
それは学ぶことにより欲望を矯正する事ができるとしました。
荀子の弟子に漫画キングダムで登場する李斯や法家思想で有名な韓非子がいたと言われています。
性善説と性悪説の共通点
孟子は人間の本性は善と説き、荀子は人間の本性は悪だと説きました。
両者の隔たりは大きく見えるが、共通する点も実は多いのです。
孟子の善なる本性を阻害することなく育てよとする教育論。荀子の悪なる本性を矯正せよとする教育論。教育をすることの大事さをお互いが伝えています。
両者とも共通点として人間は学ぶことで変わることができるということです。よって未来の事を両者は説いていたのです。
なので、生まれながらに善であるとか悪であるという議論にほとんど意味をなさないでしょう。善であっても育てることで人間は善を実現できるし、悪であっても矯正することで善を実現できるからです。
両者とも人間は生まれた時から可能性を秘めており、学ぶことで何者にでもなれると説いたのは大きな共通点です。
一見、比較をしてみると両者で矛盾していると思いきや、最終的な目的は同じだというわけです。
まとめ
今回は性善説と性悪説について簡単に解説させていただきました。また、性善説と性悪説には意外にも共通点があるということもお伝えさせていただきました。
人間の本質は善であろうが悪であろうとも、教育をすることで善になれるというわけですね。