中国の古典とは、変化の激しい時代を生きるための人間学と言ってもよいでしょう。
それは、骨太い知性としなやかな感性を磨き、豊かな表現力を身につける手助けになることでしょう。
みなさんは、中国の古典というと何をイメージされるでしょうか。
多くの人が『孫子の兵法』と答えるのではないでしょうか。
確かに孫子の兵法は世界最古の兵法書として三国志に登場する曹操、戦国時代の武将・武田信玄、マイクロソフト創業者・ビル・ゲイツ氏、ソフトバンクグループの孫正義社長が影響を受けていたという話は有名でしょう。
しかし、中国の古典は『孫子の兵法』だけではありません。
むしろ、今日まで伝えられている中国古典は、人間はいかに生きるべきかという根本的な問題を取り上げた哲学・思想関係の啓発書の方が主流です。
例えば、現代の日本でも人気が高い『論語』などがそうです。
今から2500年前に書かれた論語は、儒教の始祖・孔子と弟子たちの言語録です。
孔子が生きた時代は春秋戦国時代にあたる。漫画キングダムの舞台よりも約250年ほど前の時代です。
この時代は『諸子百家』といわれる数多くの学者・学派が登場した時期でもあります。
現代に伝えられている中国古典が集中して著されている時代です。
諸子とは、孔子、老子、荀子、荘子などの人物(思想家)の事を指します。
百家とは、儒家、道家、墨家、法家などの学問の流派を指します。今でいうジャンルです。
作者とジャンルを分けたのが『諸子百家』ということです。
今回は、今の現代にも語り継がれている中国古典をまとめて簡単に解説していきます。
中国古典の解説書は数多くあります。読みたいけれど、どれを読んでよいのか分からない方に入門書としてオススメの本も紹介しています。
中国古典まとめ!オススメの本も紹介
孫子の兵法
2500年語り継がれた世界で最も有名な兵法書
紀元前515年頃の春秋時代
著者 孫武
分類 兵家
どういう内容か
冒頭でも少し触れましたが、中国を代表する兵書です。世界を代表する兵学書と言っても過言ではないでしょう。
その内容は、現代人が読んでもまったく違和感のない合理性に貫かれています。これが2500年も前にあった書なのかと驚かされます。
兵書は、戦争という特異な状況を前提に書かれたものですが、人間論、組織論、リーダー論など、普遍的なテーマへの関わりも多くあります。
それが孫子の兵法は、単に戦争論としてではなく、広く現代社会のマネジメントにも応用が効くという理由でしょう。
有名な言葉
彼を知り、己を知れば百戦危うからず
解説
相手を知って、自分の事も知っていれば100回戦っても敗れることはない。
ライバルと自分の力を知ることの重要さを指摘した、きわめつけの名言です。
ただ、ここで100回勝てると言わずに敗れることがないという事にしたのが孫子の真髄だといえます。
お互いの力を知り、勝てないと分かった場合には戦わない、逃げるという選択をするということです。
孫子の兵法の始まりの一節は『兵は国の大事なり』という言葉から始まっています。
兵とは戦争の事を指します。戦争は国自体が滅びてしまうような大事です。戦う前に考えるという事の重要さを説いています。
孫子の兵法は戦わずして勝つことが最大の功績であると言っています。
論語
日本人の生き方にも大きな影響を与えた。座右の書。
紀元前450年頃の春秋時代末期
著者 孔子の弟子たち
分類 儒家
どういう内容か
論語も孫子の兵法と並び有名な書です。
仮に中国古典の中から好きな一冊を選んでくださいと言えば、多くの人は『論語』を選ぶでしょう。
日本でもNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公のモデルとなった渋沢栄一氏も信奉していた書です。渋沢栄一氏の『論語と算盤』は有名でしょう。
論語は、今から2500年前を生きた思想家・孔子とその弟子たちの言語録です。
行動的で、不屈の精神の持ち主だったとされる孔子が、人間としての在り方、政治や社会の在り方など、人間として直面するあらゆる問題について、弟子たちに答えていきます。
その対話が孔子亡き後に、弟子たちにまとめられた書こそが論語なのです。
人間には誰しも「有名になりたい」、「お金持ちになりたい」、「偉くなりたい」などの欲望がありますが孔子は、それを否定していません。
孔子の教えは、世捨て人の学問でなく、積極的に社会に参加していくためのものです。欲望は否定されるべきことではないが、ただ目的と手段とを混同してはならないと厳しく言っています。
実現したい理想があるからこそ、そのためにお金も必要であり、世に出る必要があるのだということを言っています。
有名な言葉
学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち危うし。
解説
一生懸命勉強することは良いことであるが、時に立ち止まって考えてみなければ、その学習は先行きの見えない暗いものとなる。逆に考えてばかりで基礎を学習しなければ、それは独りよがりの妄想となり、極めて危ない。
『学』と『思』の両者をバランスよく意識していくことが大事ということです。
学問だけ学んでばかりだと評論家になり、思いだけ持っていても行動すれば基礎がないため、危ないという事です。
バランスが大事だという事でしょう。
老子
理想は水のような生き方。厳しい現実を生き抜くための処世術
紀元前510年頃の春秋時代
著者 老子
分類 道家
どういう内容か
儒家・孔子の言葉が真面目で常識的なものであるとしたならば、『老子』の言葉は一見ふまじめで、それでいても世界と人生の本質に迫るような鋭さを持っています。
古代中国の思想家の中で、老子ほど謎に包まれている人物はいないでしょう。
老子の言葉は、どれも端的で、意表を突く名言が多くあります。
社会の常識に染まってしまいそうな現代の人たちの、とても新鮮に響く書です。
当時、『老子』は多くの人々の心を捉えていたといわれています。
有名な言葉
上善は水の若し。
解説
最高の善とは、水のようなものである。
思想家は、理想の姿を色々な例えを使って表現しています。老子は水が最高の姿だと言ったのです。
なぜなら水は世界の万物に大きな恩恵を与えるだけで、争うようなことは決してしません。
暗く低く狭いような、誰もが嫌がる所に平気で趣き、汚れ役を引き受ける。これこそが理想だと言ったのです。
荘子
理論書というよりも文学書。世俗世界からの超越を説く。
紀元前290年頃の戦国時代
著者 荘子
分類 道家
どういう内容か
老子と合わせて『老荘思想』と呼ばれる荘子です。同じ道家の分類に入ります。
荘子の特徴は寓話です。巧みな寓話・比喩により難解な哲学を分かりやすく説いています。
堅苦しい哲学を読むのではなく、寓話を楽しむうちに、きっと荘子の哲学に引き込まれていくでしょう。
有名な言葉
自ら其の適を適とする。
解説
自分が本当に快適だと思う事を心から楽しむ。
人は価値観に囚われて本当は自分のしたい事を出来ていないと荘子は言いました。
では、どのような在り方が本当の快適なのでしょうか。荘子は『其の適を適とする』、つまり、世の中や他人の価値観に振り回されずに、本当に自分が快適だと心の底から思い楽しむような境地こそ素晴らしい事だとしました。
もっとも、社会の一員である限り、すべての社会の基準を逸脱するわけにはいかないでしょう。
だが、心の底から楽しいと思うことは社会から強制される必要はありません。個人個人が、自分の心に問いかけて発見すれば良いと荘子は言いました。
孟子
孔子伝来の儒学を学び性善説の王道政治を説く。
紀元前280年頃の戦国時代
著者 孟子
分類 儒家
どういう内容か
人間はみな生まれながらに善に向かう素質をもっている。これが孟子の性善説です。
善の芽を育てるために学ぶことが大事であるという事を根本に置いた書です。
孔子の孫の弟子だったといわれております。
有名な言葉
天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず。
解説
天の好機よりも地の利、地の利よりも人の和が大切であるとした孟子の言葉です。
好機と環境に恵まれていて行動を起こしても、人の和が乱れていたら成功はないでしょう。
では、一体何が人の和をもたらすのでしょうか。それは道を得る事だと孟子は言いました。
人の和をもたらすものは道であり、道を極める事によって人の和が生まれるということです。
荀子
人は持って生まれた本質は悪である。性悪説の思想で善に導く。
紀元前300年頃の戦国時代
著者 荀子
分類 儒家
どういう内容か
孟子の性善説とは逆で、人間は生まれながらに悪であるとしたのが荀子の性悪説です。
性悪説は、人の本性は悪であり、そのままでは善に向かう事ができないと説きました。
こうした思想を背景に、荀子は、人間は後天的な努力、つまり学問による自己改革の重要性を力説しています。
孟子と同じく、孔子の孫の弟子だといわれております。
有名な言葉
人の性は悪、その善なるは偽なり。
解説
人間の本性は悪であり、その善という行為は後天的な作為の矯正によるものである。
一瞬ドキッとしてしまう表現ですが、これが荀子の有名な書き出しです。
人間は本来、利益を求め、憎しみ嫉妬し、快楽を追ってしまう性質があると荀子は言います。
従って、社会を維持するためには人間に対する教育が必要であるとしました。
天性は悪、人為が善、これが荀子の人間認識です。
人間は我欲と利己心の塊である事を認めた上で、人間は自ら学ぶ能力があるという大きな価値を認めようとしたのです。
墨子
自己を愛するがごとく他者を愛せよ。兼愛主義を説き孔子派と大きく対立。
紀元前 400年頃の戦国時代
著者 墨子
分類 墨家
どういう内容か
自分を愛するがごとく、国や家族を愛せとした兼愛主義の墨子です。
墨子派を『墨者』と呼び、兼愛・非攻のスローガンを掲げ活動を行なっている集団もいました。
兼愛とは、自己を愛するがごとく他者を愛せよとするものです。非攻とは、強大国の侵略戦を否定して、みずから弱小国のために防衛戦を行うという実践的な思想でした。
この崇高な理想を各国々に受け入れてもらおうと、墨子は力説しました。その言葉をまとめた書が『墨子』です。
有名な言葉
兼ねて相愛し、交々相利す。
解説
自分を愛するように他者を愛し、利益を共有する。
最初に紹介した儒家・孔子は差等愛を説きました。差等愛とは、身近な人を愛し、疎遠になるほど愛が薄くなるということです。
例えば、自分の両親や子供に最も深い愛情を注ぎます。しかし疎遠の親戚のおじさんや、はとこになるに従って、その愛情は薄くなっていきます。
現代の日本では常識的な愛でしょう。
ところが、この墨子はこうした愛(差等)を否定しています。
それが墨子のスローガン『兼愛』です。自己への愛をそのまま他者に向けるのです。つまり自己愛と他者愛とを兼ねよ。という意味で兼愛です。
自己中心的な利益追及をやめて、天下全体の利益を考えよ。と説いています。
なぜ、このような愛を墨子は説いたのか。
それは世の中が乱れている原因は自己愛にあると考えたからです。
世の中が乱れてしまうのは、人々が自分だけを愛して、他者を愛さないからだと考えました。
そこで、墨子は全ての人が自分を愛するように他者を愛する事ができれば、世の中はおのずと平和になると考えたのです。
韓非子
秦の始皇帝にも影響を与えた徹底した法の指導論。
紀元前230年頃の戦国時代
著者 韓非子
分類 法家
どういう内容か
漫画キングダムでも有名な秦の始皇帝は、かつて「韓非子と会い親しくすることが出来れば死んでも悔いはない」と言ったといいます。これほどまでに絶賛された思想家でした。
韓非子は法で国を収める法治主義を主張していました。
今から2000年以上前のものとは思えない徹底した合理主義を説いているのが韓非子です。
その内容と文章は、厳しい時代を生きる現代の人々にとっても、大きな指針となるでしょう。
有名な言葉
明主の導りてその臣を制する所のものは、二柄のみ。
すぐれた君主は、2つの柄を握っているだけで臣下を抑え込むことができる。
『明主』とは名君のこと。韓非子の時代でいえば優れた王ということです。
韓非子によれば臣下、今の時代でいう部下は信用のできない存在だと言っています。
何を企んでいるか分からないし、いつ裏切るのかも分からない。そういう時代だったのでしょう。
その彼らたちを押さえ込んで、意のままに使いこなすにはどうすればよいか。
儒家・孔子をはじめ、その教えを受け継いだ面々は、君主たるものは徳を身につけて、それを臣下(部下)に伝えていけば、おのずと良い方向に導けるはずだと言いました。
しかし、韓非子はそんな彼らを「甘い」と反論しました。
では、韓非子はどうするべきだと主張したのか。それこそ『二柄』です。『二柄』とは賞を与え、罰を科す権限だと言います。信賞必罰です。
もし、このどちらかの権限を臣下(部下)に与えてしまったら権限を持った人物に人々は恐るようになり君主は軽視されてしまうということになります。
決して、信賞必罰の権限を他に与えてしまうことは絶対にしてはならないとしました。
韓非子が生きた時代は今とは大きく異なりますが、いつの時代でも、こういう一面があることは、冷静に受け止めておいたほうがよいのかもしれません。
菜根譚
儒教、仏教、道教をミックスした日本人に今なお愛読される書。
1650年頃の明の時代
著者 洪自誠
分類 なし(時代背景が異なるため)
どんな内容か
『菜根』とは読んで字のごとく、菜っ葉や大根のような粗食のことです。
物質的欲望をコントロールして簡素な生活によって、精神の充実をはかろうという著者の主張が、この題名に当て込まれているのでしょう。
『菜根譚』を読んでまず心が打たれるのは、全編に流れている著者の論理感でしょう。
読めば、そのときどきにふさわしい助言や、励ましや、慰めの言葉に出会って、精神を保つうえでおおいに役に立つ常備薬ともいえるでしょう。
時代は大きく変わった1650年頃の書で、現在でも多くの方が座右の書としています。
有名な言葉
間時に喫緊の心思あるを要し、忙処に悠間の趣味あるを要す。
解説
暇な時間にこそ忙しい時間を見つけ、忙しい中にこそ暇を見つけて有意義な時間を取ることを心掛ける。
人はとにかく環境に流されやすいです。暇な時にはただ時間を潰すだけで、忙しい時は仕事に追い込まれて周囲に目を配るような心を忘れてしまいがちです。
そこで、忙しい時こそ暇を見つける心構えを持つ事が人生を生きるうえで大事だという事でしょう。
『忙』とは心(りっしんべん)が亡びると書きます。忙しい時こそ暇を見つける事こそ、本当の暇だといえるのでしょう。
日本の思想家・安岡正篤氏の六中観生き方に通ずるところがあります。
最後に
今回は、誰でも1度は聞いた事があるような中国古典について簡単に解説させていただきました。
2500年も前から現代に受け継がれていた書には語り継がれる多くの理由があるからでしょう。
中国の古典は、現代の変化が激しい時代を生きるため人間学と言ってもよいでしょう。
それは、骨太い知性としなやかな感性を磨き、豊かな表現力を身につける手助けになることでしょう。
ぜひ、この機会に中国古典に触れてみてはいかがでしょうか。