新海監督最新作【天気の子】で主人公の帆高(ほだか)が読んでいるとされる描写が劇中に登場し、再度話題になっているキャッチャーインザライについて紹介していきます。
今回は描写になっている村上春樹氏訳について紹介します。
キャッチャーインザライとは?
直訳でライ麦畑でつかまえては、1951年に出版されたJ・D・サリンジャーによる長編小説です。
長編といっても約350ページほどなので、すぐに読めてしまいます。
今から約70年前の作品なんです。
村上春樹氏の訳本は、2006年に出版されています。
青春小説の古典的名作として現在でも、全世界で読み継がれている作品です。
今では全世界で累計6000万部を発行しているそうです。
キャッチャーインザライ あらすじ
物語は語り手であり主人公であるホールデン・コールフィールドが去年のクリスマスの出来事を語るという内容からスタートします。
最初から最後まで、ホールデン少年が読者に向かって若者言葉で話を続ける。
主人公のホールデン・コールフィールドは16才の高校生(語り手の時は誕生日を迎えて17才になっている)
世の中の色々な事を悲観的に捉えてしまうホールデンは、クリスマスの直前に通っている高校から成績不良で退学処分を受けてしまう。
ホールデンは退学処分の前にクラスメートやルームメイト・教師などの話を聞きうんざりしまい、自分から高校を去ってしまう。
ホールデンの実家はニューヨークにあり、父は弁護士をしており裕福な家庭で育っている。ただ、ホールデンは家に帰る事はせずにニューヨークの街を放浪すると決める。
ニューヨークの街では同級生の母や、娼婦・女友達・バーで知り合った女性・以前の学校でお世話になった教師など色々な人物に会うホールデンだったが、やはりその人たちを否定してしまい悲観的に捉えてしまう。
最終的にはホールデンは実家で暮らしている妹のフィービーに無性に会いたくなり、実家の両親に気づかれないように再会を果たす。
ホールデンは妹のフィービーに会った後に街を歩きながら将来の事を考え始める。
ニューヨークに別れを告げ実家には戻らずに西部の方に行き聾者(ろうしゃ、聴覚障害者)のフリをして誰とも関わらない様にして森のそばに小屋を建てて世間から身を隠しながら行きていこうと考える。
ただ妹のフィービーには、最後に別れの挨拶をしたいと考え、通う学校の前で待つ、ホールデン。フィービーに別れを告げるが自分も一緒に行くと言いだし、険悪な雰囲気になってしまう。
近くに小さい子供の頃に何度も遊びに行った動物園に2人で向かう。
そこのメリーゴーランドに乗ったフィービーを降り出した雨の中で眺めた時にホールデンは突然、強い幸福感を覚える。ホールデンは家に帰った。
キャッチャーインザライ 感想
結論
1人の少年が様々な人に会い、社会や大人の偽善や建前を感じてしまう反面、妹という存在に小さな事から幸福が生まれる事に気づく事が出来た。
ホールデンは、子供でありながら大人に見られたい反面がありました。
ただ、自分も大人になったら周りの大人の様になってしまう恐怖に葛藤していたんでしょう。
70年以上前の作品でしたので、国や時代背景も全く異なっていますので共感できる部分が少なかった事は残念な点でした。
今の、日本の時代背景で誰か同じ様な作品を描いてくだされば、ベストセラーになると思います笑
主人公のホールデンについて
ホールデンは、とても頭の良い少年だと思います。
ホールデンには弟アリーが居ました(何年か前に亡くなってしましました)
作中の中でアリーはとても優秀な弟と語っており、兄のDBは作家としての才能があり今ではハリウッドで活躍をしているとあり父は弁護士である事から、ホールデンについても当然、頭の良い少年だと考えられます。
ホールデンは人を見抜く力が大変優れています。
よって、他の少年以上に社会の矛盾や、大人たちの建前に対して敏感に反応してしまったんでしょうね。
ただ、彼は学校だとかに興味が無く悲観的に捉えてしまうクセがあるので自分自身も全くのダメ人間だと悲観していたんでしょう。
ホールデンは不良なのか?
また、不良な面も出しているんですが作中では何度もタフさがない(度胸がない)という言葉があり背伸びをして自分を悪そうにみせていたんでしょうね。
・ヘビースモーカー(16才当時)
・大酒呑み バーとかに行ったりして酒を飲んでいますがたまに、年齢を確認されてコークしか飲めないことも。
・平気で嘘をつく 人を喜ばせる嘘ですね。
なぜ、タイトルはライ麦畑で捕まえてなのか?
作中で街を歩いていると小さな少女が【ライ麦畑で誰かが誰かを捕まえたら】という唄を歌うのを見て、ホールデンは気分が晴れたとあります。
ただし、この唄の正しい歌詞は【ライ麦畑で誰かが誰かと出会ったら】だと妹のフィービーに指摘されている。
ホールデンは指摘された後に
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」
(キャッチャー・イン・ザ・ライより引用)
これは、まさしくホールデンが大人たちに悲観してしまい、ライ麦畑で子どもたちが道を踏み外さない様に自分が守りたいと感じたからでしょうね。
最後に
ぜひ、今回の記事を読んで原作が気になった方が本を読むきっかけになればと思い記事を書きました。