今回より論語から学ぶというシリーズを記事にしていきます。
『論語』を知っている方は、多くいらっしゃると思います。ただ論語が教えたかったこと、伝えたかったことって何でしょう?
論語で教えたかったこと。それは『思いやり』の心を持てということです。
それについて今回は解説をしていきたいと思います。
論語って?と知りたい方はこちらの記事をどうぞ

論語で教えたかったこと
論語で教えたかったことは一言でいってしまえば思いやりの心『恕』ということです。
子貢問うて曰わく、一言にして以て終身これを行うべき者ありや。子の曰く、其れ恕か。己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ。
論語 衛霊公第十五より
論語の中にこのような文があります。これは弟子の子貢という人物が孔子にたずねた時の内容です。
現代訳
子貢が「一言だけで一生行っていけるという事がありますでしょうか?」とたずねた。先生は言われた「まぁ恕(思いやりの心)だね。自分がされて嫌なことは人にはしないことだよ。」
子貢問うて曰わく
子貢というのは孔子の弟子の方です。弟子の中でも超優秀な弟子であったと言われています。孔子の弟子は約3000人いたという事です。2500年も前の人物なので、それこそ電話もありませんし、噂を聞きつけてそれほどの人数が集まったとは相当なものでしょう。
その中でも、子貢は孔門十哲という孔子の3000人いる弟子の中でも上位10人に入るエリート中のエリートでした。
その子貢という弟子が先生(孔子)にたずねたという事です。
一言にして以て終身これを行うべき者ありや
「一言だけで一生行っていくべきことがありますでしょうか」と孔子に聞いているということです。
子の曰く、其れ恕か。
『子の曰く』というのは、昔の中国では『子』というのは尊敬を示す人に付けていたので現代でいえば先生という意味ですね。先生が答えたという事です。ここでは孔子という意味です。
『其れ恕か。』それは恕であると答えたということです。一生行って行くべきことは一言でいうなら恕であると。
恕とは簡単にいってしまえば今でいう『思いやりの心』ということですね。
ただ、単純に思いやりの心だと言ってしまいますが『恕』という1文字は本当に感銘深いです。
己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ。
一言で『恕』と答えた孔子は続けて、自分がされて嫌なことは他の人にしてはいけないということだよ。と言っています。
最後に
今回は論語で教えたかった事として『思いやりの心=恕』という事を紹介させていただきました。
何だ。そんな事は昔に親に言われた事があるよ。と思われる方もいると思います。でも、自分の胸に手を当てて考えてみると実は簡単なように思えて、とてつもなく難しい。常に思いやりの心を持って行動していく事が大事だという事を教えられます。
周りの関わっている人たちに思いやりの心を常に忘れないで生きていきたいものですね。
論語に興味がある方にオススメの入門書を紹介しておきましょう。


