最近、古典について学んでいます。
そこで、孫子の兵法について学んだことを記事にしていきたいと思います。
学んだ事をアウトプットしていきたいと思います( ^ω^ )
今回は、孫子の兵法を作り上げた孫武という人物を紹介していきます!
孫武という人物は?
孫子の兵法とは?
孫子の兵法とは、今から2500年も前に孫武がまとめた兵法書です。
【戦わずして勝つ】や【彼を知り、己を知れば百戦危うからず】など現在でも聞く内容は孫子の兵法からきています。
名経営者や勝負しに影響を与え続けている中国の古典です。
ソフトバンク創業者の孫正義氏やマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏も愛読し、経営に活かしたとされています。
孫子の兵法の作者は孫武
孫子の兵法の作者は『孫武』だといわれています。
紀元前545年に孫武は生まれました。
中国古代の武将であり軍事思想家でした。
今でいうコンサルの様なものでしょう。
孫子は尊称です。

※ウィキペディアより
孫武の逸話
孫武は斉の国の出身です。
兵法に通じていたので呉王闔閭(こうりょ)に召されていました。
召される前に、闔閭は孫武に試しに兵を訓練してみろと命じました。
実際に訓練をしたのは宮中の美女180人をかり出して練兵する事になった。
孫武はまず、隊を二つに分けて王の寵姫(ちょうき)2人をそれぞれの隊長に任命した。
号令を女たちに伝えると全員に行き渡るよう再三説明を繰り返した。
ところが、いざ太鼓を鳴らして号令を掛けても女たちはケラケラを笑い崩れ号令に従おうともしなかった。
そこで、孫武は号令が理解しにくかったかも知れない、私が悪かったと伝え再度、説明を繰り返した後に号令を掛けたが女たちはまたもケラケラを笑い号令に従わなかった。
そこでなんと、孫武は先ほどは私の落ち度だったが今は違う。全員が号令を理解しているはずだ。なのに号令通りに動かないのは隊長の責任だと伝え2人の寵姫を切り捨てようとする。
当然、呉王は止めに入るが、孫武はこの部隊の将は私です。 将が軍にあるときは、君命足りともお受けできないことがありますと言い2人の隊長を斬った。
そして寵姫い変わる隊長2名を新たに隊長に任命して、号令をかけると今度は号令通りに一糸乱れぬ動きをした。
こうして、孫武は呉王に仕えたという逸話があります。
最後に
今回は孫子の兵法について考察されていただきました。
解釈や、誤りがあればコメントよろしくお願いしますm(_ _)m
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